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父がIHクッキングヒーターを壊した [家族]

10月10日。

この日は、亡き母の誕生日。

歳は取らないけれど、お祝いしています。

大好きなお花とお寿司、ドクターペッパーをお供え。



私がセッセと買い出しに行っている最中、それは起きました。

最大の原因は、父が私の言うことを守らなかったから。

よりによってこの日にねー。

自己中なことをせず、母のことに思いを馳せていれば良かったものを。



さて、私は電磁波に一種の懸念を感じていて、家から出たいと思っていた。

母の声が聞こえた気がします。

「お父さんに腹が立っちゃった。あんた、ガスコンロに替えちゃいなさい」

もしかしたら、母が一枚かんでいるのかもしれません(笑)



えー。家を出るなってことじゃん。ゲー。

まぁ自分のためにお金を蓄えろってことね…と解釈した。

相見積もりした結果、本日、若めの爽やかイケメン業者に決定~♪

もちろん決め手は見た目じゃなくて、仕事の対応ぶり&価格ですよ(笑)



そう言えば、春先に洗濯機を設置しに来た業者の人も超絶イケメンだったな。

そのまま芸能活動できるんじゃないかレベル。

それでいながら、仕事ぶりはスマートで、後輩にもテキパキ指導していた。

日本はまだまだイケる!←話が脱線してますよー(笑)



最近のガスコンロは、時間が経つと消える設定が標準装備らしくて安心した。

メーカーは最初から『リンナイ』と決めていました(IHならばPanasonic)。

機種の特性を聞き出し、掃除のしやすさ&手軽さで選んだ。

久しぶりにまともに料理したい気分になってきた。いいぞ♪



壊れたお陰で望んでいたものを手に入れた。

次は冷蔵庫だな(笑)

とゆーか、ただ単に壊れそうなだけなんだけど。

三菱電機製のが安く手に入りますように!

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明日は母の祥月命日 [家族]

母が亡くなって5年。

早いんだか、遅いんだか、よく分からない感じです。

あやを☆父は、昔から自分の誕生日だけ覚えている人なので、

私が云わなければ気が付かなかったかもしれない[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]


明日は仕事なので、今日、お墓参りに行って来ました。

母のことで行ったのに、昨年亡くなった妹のことを語る父。

(まったく…[たらーっ(汗)]

ゲンナリしたけど、母方の伯母たちから電話があり、気持ちが腐らずに済んだ。


お花が大好きだった母。

今、仏壇にはブリザーブドフラワーを飾っている。

だけど、母の好みは生花。

明日は、久しぶりに花束を供えようかな[ぴかぴか(新しい)]


お母さん、そっちは楽しい?

私はとっても元気だよ。

あやを☆父とも何とかやってるよー。

たまに、援護してくれてるよね?(笑)


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81歳になるの巻 [家族]

本日、あやを☆父の誕生日。

今年は何を食べようか・・・?

相変わらずの大食漢なので、どこにでも連れて行ける。

朝、"中華はどうかね"と尋ねたところ、即OK。

美味しくて、お財布に優しいお店を見つけていた。



☆海老ワンタンメン(+半ライス、杏仁豆腐)

☆小龍包

☆海老入りふわふわ卵の蟹あんかけ

ほぼ一人で平らげ、帰宅してからティラミス&ミカンを食べる。

長生き間違いなし(笑)



胃袋はすこぶる快調だけれど、寒さに弱い。

既に真冬の装いなので、この先が思いやられる。

取り敢えず、一つだけプレゼント購入してみた。

『足温器ペチカ』

熱源が体温なのだ。


ってことで、自分のも購入したので実験中。

最初は失敗したかなぁと思ったけど、今はヌクヌク~♪

軽くて持ち運べるから、意外といいかも。

問題は…あやを☆父の体温がどのくらいかによるかな。

少しでも快適に冬が越せますように。





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3年が経ちました [家族]

昨日1月18日は、母の祥月命日でした。

亡くなってから3年。

何だか遠い昔のような気がしている私です。

怒涛の日々から、穏やかな日々になったせいでしょうか。

時間的経過がゆっくりに感じるのです。

思えば、本当に怒涛の日々でした。

自分の備忘録として、経過を綴らせていただきまする。


<2009年12月> 10月からずっと右乳房に痛みアリ
11日 健康診断で乳がんの疑い
12日 乳腺専門クリニックでほぼ乳がんと確定され、病院を紹介される
15日 マンモトーム生検
19日 歯医者
21日 (母)病院に付き添い、入院決定
23日 (母)入院
24日 歯医者
28日 乳がん確定 / 年末年始:12/28~1/4(毎日、母の病院へ) 

<2010年1月>
07日 精密検査イロイロ
13日 検査結果(転移なし。疑い晴れず再検査要請される)
15日 (母)無理やり退院
16日 歯医者
18日 (母)病状悪化に伴い再入院
20日 歯医者
22日 歯医者
23日 歯医者
27日 リンパ節生検(2回目)、歯医者
30日 歯医者

<2010年2月>
03日 再検査結果、歯医者
06日 歯医者
10日 歯医者
12日 (母)病院より呼び出し。延命措置の有無の判断を迫られる
13日 歯医者、(母)延命措置をしないことで同意。今週末が山場と告げられる
15日 MRI検査
17日 全摘確定診断 / 手術日候補:3/16 or 3/18
23日 歯医者
27日 ヒーリング / 2/26で仕事を辞める
28日 出雲へ / 母が奇跡的に持ち直し、呼ばれた気がしたので

<2010年3月>
01日 飛行機欠航で延泊、主治医より自宅に電話アリ
03日 主治医より、リンパ節生検再々要請
05日 病院より入院&手術日連絡あるも断る
06日 オステオパシー、鍼灸院
08日 リンパ節生検(3回目)
11日 再々検査結果(電話)
12日 病院より入院&手術日連絡あり、渋々承諾
13日 オステオパシー
15日 入院
16日 手術
24日 退院
29日 リンパ液貯留確認

<2010年4月>
05日 リンパ液貯留確認
12日 (母)新主治医より呼び出し、母の乳がん確定
14日 (母)父の逃走で病院より呼び出し、乳がん告知
15日 病理結果報告
21日 術後治療決定、鍼灸院
27日 職安
28日 抗がん剤オリエンテーション
30日 (母)自宅での看護・介護の話し合い

<2010年5月>
07日 鍼灸院
08日 オステオパシー
11日 職安
12日 AC療法1回目
22日 鍼灸院
25日 職安
28日 (母)退院、在宅医療開始(介護は6月半ばor下旬)

<2010年6月> ほぼ寝たきり
02日 AC療法2回目
08日 鍼灸院
22日 職安
23日 AC療法3回目の予定だったが、来院も不可能なレベルにつき中止
30日 再びAC療法3回目の予定だったが、衰弱激しく中止

<2010年7月> 完全に寝たきり
07日 AC療法3回目(減量投与、休薬期間4w)
20日 職安

<2010年8月> ほぼ寝たきり
04日 AC療法4回目(減量投与、休薬期間4w)
17日 職安
25日 治療方針の話し合いにより、PAC投与はすべて中止

<2010年9月> 血圧80前後を推移
01日 ノルバデックスお試し服用開始
06日 鍼灸院
08日 ノルバデックス副作用確認
13日 鍼灸院
21日 鍼灸院
29日 検査+ノルバデックス処方

<2010年10月> 近所は外出できるようになる
04日 鍼灸院
12日 鍼灸院
18日 鍼灸院
25日 鍼灸院

<2010年11月> 県内は出掛けられるようになる
01日 鍼灸院
09日 鍼灸院
12日 CYP2D6検査(この日は諸般の事情でNG)
15日 鍼灸院
17日 CYP2D6検査
26日 鍼灸院

<2010年12月> ちょっとずつ回復、(母)容体下降気味
03日 鍼灸院
10日 鍼灸院
12日 (弟)事故に遭う
15日 (弟)お見舞いのため病院
17日 鍼灸院
24日 鍼灸院
27日 ノルバデックス処方、(母)乳がん皮膚転移
30日 (弟)お見舞いのため病院

<2011年1月>
04日 鍼灸院
14日 (母)呼吸が乱れ始める
15日 (母)ネフライザー開始、(友人の旦那)お通夜
17日 (母)訪問看護、夜に容体急変し訪問医療の病院に入院
18日 (母)早朝死亡
19日 (母)化粧納棺
20日 (母)お通夜
21日 (母)告別式
24日 術後1年目検査

<2011年2月>
03日 すっ転んで左足踝骨折(ひび)
09日 レンタルベッド導入
26日 (母)納骨・49日法要


いやぁ私よ、よく頑張った!

特に、母が亡くなる前後の対応は、ほぼ一人でしたもんなぁ…(遠い目)

そのことに関して、いまだに色んな人から褒めちぎられるのであった(笑)

逆に、父と弟夫婦の評価は地に落ちてる感じ(笑)


まぁそんなことより、私が楽しく過ごしていることで母は喜んでいるでしょう。

父との仲は相変わらず残念で、ほぼ会話ないけれども、それもOKと思ってるハズ。

だって、私の乳がんが発覚した時に、家を出ることを勧めてきたから。

理由は…父が全くアテにならない上、私に悪影響を及ぼすと考えた。


ホント、それはズバリ当たっていた。

退院後や抗がん剤投与でくたばっている時ですら、何もしてくれなかったもんねぇ。

ちょっと注意すれば逆切れで、ヘルパーさんたちが私を擁護しまくりだったし。

もちろん金銭的な援助はなく、それでも家賃光熱費食費が掛からなかったのは感謝。


それでも、父なりには努力しているみたい。

私の求める基準が高過ぎて、そこには到達できないのだと思う。

それを受け容れることは出来るが、一緒に暮らすとなると私に負荷が掛かる。

父の自己チュウばりに、私も自己チュウになる時が来たのかもしれない。

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傘寿の宴 [家族]

AYA父、本日80歳を迎えました。

ミッキーマウスと誕生日が一緒。

残念ながら・・・ミッキーマウスの愛らしさはない(笑)


父娘だけの細やかなお祝い。

昨日の朝、希望を聞いた。

"誕生日(月曜)に、外で洋食が食べたい" と。


そんな訳で、昨日はお店選びのため、引きこもり。

結構、月曜休みが多くて、困った。

候補を3つに絞り、タロットで最終判定。

アラペサ1 (318x238).jpg
アラペサ2 (238x318).jpg
アラペサ3 (236x316).jpg
アラペサ4 (240x320).jpg
アラペサ5 (320x240).jpg食べ散らかし^^;


予約時(ネット)、目的と希望の項目があった。

だから、誕生日と父が大食漢であること(笑)を入力。

そうしたら、パスタとメインを2種類ずつ提供してもらえた[ぴかぴか(新しい)]


何というか、タロットって当たるねぇ(←そこ?(笑))

父も満足したみたいでヨカッタ[るんるん]

ただ、もうちょっと食べられたらしいけど[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]


父の食べっぷりにシェフが驚き、長生きしますよーって(そうでしょうとも!)

母が亡くなった後、「AYAのために、あと10年は生きるよ」と宣言した父。

目標を持ったせいか、父の認知度合いが良くなっている気がしている。


歳を追うごとに父娘の関係は良くなってきています。

母はきっと喜んでいることでしょう。

そう云えば、今日は母の月命日です(ビールをお供えしてこようっと)

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久しぶりに泣いた [家族]

お友だちのNちゃんのお母様が亡くなられた。

亡き母と同じ72歳。

アッという間に亡くなってしまった展開も似ている。


一昨日の通夜、昨日の告別式で、受付を担当。

親族、従業員がいっぱい参列。

人柄が忍ばれる感じでした。


告別式の途中から、会場に入り読経を聴く。

お別れの献花。

泣き崩れるNちゃん(他多数)


"お母さん、このまま死んじゃうのかな?"

苦しい呼吸の最中、背中や腰をさすっている時に言われた亡き母の言葉。

同じだったのかもしれないと思ったら、泣けてきた。


18日が母の月命日。

父がお墓参りに行きたいということで、日曜日に行く予定。

帰りは、母の好きなお寿司でも食べようと思う。

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2013-06-16 父の日 [家族]

昨年の父の日はすっかり忘れていたけれど(笑)、今年は覚えていましたよー。

誕生日を迎えると80歳の父の胃袋は、相変わらず元気。

なので、お気に入りのランチブッフェへご招待[レストラン]

えっ、やっぱりそんなに食べるの[exclamation&question]

途中で取り過ぎに気付き、反省していた(笑)

それでも完食(素晴らすぃ~[ぴかぴか(新しい)]


その後、下着を補充したかった私の付き合いでユニクロへ。

欲しい物があったらどうぞ^^

必要なモノを籠に入れ、父の元へ向かうと手に何か持っている。

結局、シャツ2枚、ズボン2枚。

スマンね…ユニクロで[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

父が満足ならばいっか~[るんるん]


正直、普通に父と2人で出掛け、穏やかに過ごせる日が来るとは思わなかった。

私の父は、言葉の選択に問題があり、必要以上に悪い印象を与えるタイプ。

それは分かっていたけれど、話すと不愉快になるだけで、いつしか話さなくなった。

時は流れて2009年暮れ。

母は入院、私は乳がん告知という事態になった。

こうなると話さない訳にはいかず、必要なことは話すようになっていった。


だけど、悉く癇に障った。

乳がん告知、ケモで脱毛、ケモで衰弱した時に掛けられた言葉が、「かわいそう」。

私はかわいそうじゃない[むかっ(怒り)]

ケモ中は心の余裕が全くなく、今までは柳に風と受け流していたことが出来ない[バッド(下向き矢印)]

結果として、話せばバトル状態に陥った。

他人様の前でもそれはあり、第三者はいつも私の味方をした。


「みんながAYAの味方をする」

そりゃ、お父さんの発言はおかしいもん

父は、家族の言葉には耳を傾けないが、他人様の言葉には耳を傾ける。

徐々に私に対する態度がマシになってきた。

そんな矢先、母が急逝。

父と2人で暮らすのはキビシイ…


そう思っても、身体はケモの打撃でヨレヨレで、すぐに働ける状態になかった。

そして、足の骨を折った。

さらに、3.11が訪れた。

ジタバタするのをやめることにした。

なるようにしかならない。

気が付いたら、父が私の言葉を受け容れるようになっていた。


色々な気付きとキッカケがあったのだろう。

一度だけ、心境の変化について尋ねてみたところ。。。

「老いては子に従え」

と、ご近所の年長者に諭されたそうだ。

ありがとう! Hのおじちゃん

人はいくつになっても成長できるんですね(←エラソー(笑))


今日、父は何度となく私に「ありがとう」を言ってくれた。

そういう言葉を発するようになったのは、母が亡くなってしばらくしてから。

70代後半にしてこの進歩はスゴイ!

それにしても…" ありがとう " は素敵な言葉ですね。

発しても受け取っても気持ちが温かくなります。

お父さん、ありがとう。

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三回忌 [家族]

昨日、母の三回忌を執り行いました。

亡くなってから(2011.1.18)、2年が過ぎたわけですが・・・

何だか遠い昔のような気がしています。

つまりは、すっかり立ち直っちゃっている私。

"貴女の明るさが私の希望"

生前、そう云ってくれた母なので、喜んでいることでしょう。

すべては上手くいっている感じですね。
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